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発達障害傾向の毒親、自己愛性人格障害の家族、自分もきっと発達障害気味。

「親のせいにするな」の悪

 「親のせいにするな」「人のせいにするな」という言い方が世間ではよくされる。「何でも人のせいにして文句ばかり言うやつはダメだ」とか。本などを読んでも、「自分の人生は全て自分の責任だ。よくないことがあったとしても、それは自分が引き寄せたのだから自分の責任だ」なんていうことがよく書かれている。世間の「人のせいにするな」パワーはものすごい。そういう言い方をすることで簡単に優越感にひたれるからだろう。他の「自己責任論」と構造は変わらない。

 そして確かに、全てが親や生育環境のせいだとしても、本当にどうしようもないのだ。「毒になる親」という本には、親と話し合って今まで言えなかったことをぶつけろ」みたいなことが書いてあったが、何を寝ぼけたことを言ってるのかと思う。話ができるような親ならそもそも毒になってはいない。うちのような、人の話を聞かない、自分のことしか考えられない、話したとしても話の内容が理解できない、発達障害傾向があり、知性の低い(発達障害の人でも知性が高い場合もある)親の場合どうするのか。私の不幸がすべてこんな人間の「せい」だとしても、「だから?」という感じだ。本当に何もできない。だからずっと「親のせい」とは考えずにきた。「親/人のせいにするな」という世間の声を内面化していたのと、「だからといってどうしようもない」からだ。

 だけど実際、私のようなタイプの人(どう言ったらいいんだろう。アダルトチルドレンHSP?いじめサバイバー?鬱傾向?いろいろありすぎてわからないが、こういう傾向の人は一定数いるはずだ)は「親のせい/人のせい」にしがちな人たちなのだろうか。本来親のせいである人ほど、親のせいにはしない傾向があるのではないか。むしろこういった人ほど、自分を責め、精神的にも肉体的にも自分を責めさいなみ続け、自尊心や自分を大切にする心が極めて低く、常に自分が悪い、自分が悪い、自分がダメなのが全ての原因だ、と思い続けている人なのではないか。こういう人にはむしろ「全ては親のせいで、あなたのせいではない」としつこいくらいに言い聞かせたほうがいいのではないか。言い聞かせたところで生まれた時から生育期にかけて植え付けられた思い込みは強い暗示になって外すのが極めて難しいので、せめて理屈でだけでも「親のせいだよ」と言い聞かせたほうがマシなのではないだろうか。でも世間や常識はそれをなかなか許さない。ぽつりと一言「親が悪くてね」とひとりごとを漏らしただけで、すぐさま「甘えるな!」「人のせいにするな!」「誰でも同じだ!」攻撃が浴びせられる(経験あり)。個人差を認めない文化がそれに拍車をかける。

 私の場合、子供の頃、毒親はいつでも何でも「おまえのせい」「おまえが悪い」と言い続けてきた。私が病気になっても「おまえのせい」なのだ。自分に都合がいいことだけ褒めるかもしれないが、都合が悪いことは何でも「おまえのせい」。他人の立場に立てないアスベ傾向と知性の低さが重なるとこうなるのだなと今になって思う。もちろん私は子供ながらいちいち真に受けていたわけではなく、「この人は言っても仕方ないし、受け流すしかない」と思って黙って耐えていたわけで、「そうか自分のせいなのか」と思っていたわけではないのだが、それでもやはり幼少期にかけ続けられた言葉は暗示力が強いもので、その後の人生ずっと自分の自罰傾向に苦しめられてきた。

 最近になって「毒親」という言葉が広まり、私も「過去を整理しよう」と決めて、積極的に子供の頃を思い出してみたら、本当にほぼ全て「親のせい」だった(笑)。思い込みやバイアス?それは自己責任論を振りかざしたい人が言うことであって、私も長い間そう自分に言い聞かせてきた。けれどそれでいいことは何もなかった。永遠に自分を責め続け、自己評価が低いまま、無力感のかたまりで、人にはいいように利用され、対人関係はうまくいかない。自分のせいにして喜ぶのは他人だけなのだ。まずは「親のせい」「親が悪かった」としっかり認識することが大事であり出発点だったのではないか(過去形なのは、もう私の人生大きく変わる見込みもないだろうし今更どうしようもないと思っているから笑)。