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発達障害傾向の毒親、自己愛性人格障害の家族、自分もきっと発達障害気味。

毒親は字がうまく書けない

 毒親はろくに字が書けない。学校にあまり行ってないからと本人は言っていたし、私もそうなんだと思っていた。読み書きができないわけではない。ある程度は書けるし、生活に不便がない程度は読める。ただ、ものすごく字が下手だ。その上字が大きい。というか小さな字が書けない。

 読み書きがあまりできないからだと普通に考えて、全ての書類手続きは私がやってあげていた。父親が生きていた頃は父親が全部やっていた。ずっとそうだったのでそれで当たり前だと思っていた。

 そうじゃないのじゃないかな、と思うようになったのは、本当にごく最近だ。発達障害アスペルガーについてよく知るようになって、これは単に教育を受けてないからではなくて、もともとの脳の偏りが関係しているんじゃないかと。

 親というのはあまりに見慣れすぎている上に、親が異常だと認識したところで何の解決にもならないことから、ただ考えないようにして、なるべく接触しないように努めてきた。

 教育をきちんと受けてなくても賢い人はいる。知識欲があれば進んで本を読んだり知識を得る方法はいくらでもある。うちの毒親は、知能が低いのだ。知能障害というレベルではない。カンはものすごく鋭いことがあるし、自分の身を守る生存本能は極めて強く、そのために人を利用することはできる。だからこそ発達障害的なのだ。

 発達障害の概念を知ってみれば、アスペルガーADHDの傾向の強い人は普通に生きている中でたくさんいる。私もそうだろうし友達の中にも何人もいる。「性格」との線引きもできないのではないかと私は思う。

 毒親は子供のようだ。中身は子供と同じだと思う。今は認知症があるので一層子供みたいだが、もたもと子供みたいだった。子供でも10代にもなれば複雑な思考をするが、そんなものは一切ない。抽象性はゼロ。内省もゼロ。依存は当然。わがままで人の気持ちは理解できない。自分だけはいつも明るく元気。人への共感能力がないので本質的に他人は関係ない。

 毒親の字を見てると、そういう性質がそのまま表れているなあと思う。最近では自分の名前を書くのも怪しい。もともとこの人には文字とか必要ではなかったんだろう。本も、知識も、人のために賢くなることも、豊かな世界の広がりを知ることも、もともと必要ではなかった人なのだろう。

 そんな万年子供のような親のもとに育つと、子供は文字通りのアダルトチルドレンになってしまう。もしくは毒親とそっくりの特性が遺伝した場合、毒姉のように自己愛性人格障害のモンスターになるか。

毒親は自分の写真を飾る

 毒親の部屋を掃除していて気がついた。部屋に置いてある写真立てに入っている写真は、全て自分だけが写っている写真ばかり。特別きれいに写っているものだとか、若い時の写真とかいったものではなく、単に自分だけが写ってる写真。十数年前に亡くなった父親と一緒に写ったものもなく、家族で写ってるものもない。自分だけがにっこり笑っている写真しかない。父親の写真は祭壇コーナーに葬式の時に使った遺影がかかっているのみ。

 今までそれを特別不思議に思ったことはなかった。でも考えてみたらこれってちょっとおかしい。普通飾るなら、家族の写真とか孫の写真とか、少しはないか?世のじいさんばあさんって、孫サイコー!って感じで孫溺愛するもんじゃないの?

 実は毒親にはひ孫もいる。断絶状態の長男に孫がいるからだ。長男は1度も見せに来たことがないばかりか、孫ができたことを報告さえしていない。普通の親なら寂しく思うところだろうが、この毒親は全くそんなことがない。毎日ご機嫌で生きている。

 毒親は、自分しか愛していないのだ。脳の中に他人という概念がないのだから、当たり前なのである。

発達障害(アスペルガー)かどうかということ

 私は今までいろいろとメンヘル遍歴はあるけれど、自分がアスペルガー症候群だとは考えたことはなかった。人の気持ちがわからないとか空気読めないとかいった特徴が自分に当てはまるとは全く思えなかったからだ。自分はむしろ、人の気持ちがわかりすぎて、人との境界線が薄すぎて、人を優先しすぎて困るほう(典型的HSP)。アスペといえば、人を気にせず自己完結した人とか、頭はいいけど機械みたいな人のことなんだろうと思っていたから、自分は違うと思ってた。

 

 それがある時、何かを読んでいて、ふと自分の高齢の母親がアスペじゃないのかと思い当たった。この毒親は、感情(みたいなもの)は豊かな方に見えるし、とても明るい。いつもいつも明るい。普通なら全くアスペには見えないと思う。だけど、「人の気持ちがわからない」というより、人の気持ちというもの自体が存在しない。あまりにも慣れっこになってしまっていて無感覚になっていたが、発達障害というフィルターをかけてみると、いろんなことがするする腑に落ちた。

 明るさにしても、まるで小さい子供みたいに独りよがりな、無邪気な明るさで、性格に年相応の深みが全くない。

 発達障害は遺伝性が強い。親にその傾向があるなら、私も何かしら受け継いでいるかもしれない、というところから、そういう視点で見るようになった。自分のいびつさは生育環境からだけでなく、脳の偏りからきていたのかとも思い、それはそれで腑に落ちた。

 そうだとして見てみると、毒親と自分の何とタイプの違うことか。

 毒親は、本質的に他人のことを気にしなくていいから、罪悪感も反省も全くしなくていい。知能も低めだから学習することもない。罪悪感の意味すらわからないだろう。そんな毒親に育てられた繊細なタイプのアスペの子供はどうなるだろう。いつも他人に乗っ取られた、自分のない人になってしまう。

 

自分の中の話し相手

 心の中は常におしゃべりをしている。瞑想の目的はこのおしゃべりを止めて静かな心の状態になることなのだろうが、そううまくいくものなのか、絵に描いた餅という気もする。自己評価が低く自分を責めがちな人は、この心の中の声がたいてい否定的で、常に自分にダメ出しをしていることが多いのだろう。これというのは、自分の中に意地悪な話し相手がいて、自分はよせばいいのにいつもこの相手とばかり話している状態なのだといえる。他のもうちょっとましな相手と話そうとすると、この意地悪がすぐに割って入って邪魔をしにくる。毒親育ちはそうなりがちだろう。成長過程で(自意識もない状態の子供の時から)繰り返し自己否定の考えを刷り込まれ、一生毒親を自分の中に住まわせているような状態になってしまう。赤ちゃんの頃から刷り込まれているので、追い出すのは大変だ。追い出せたと思っても何かの拍子に簡単に戻ってくる。

 逆に考えてみれば、自分の中の話し相手が「いい人」な人もあるんだろう。自分の中の話し相手と話をすると、いつも自分を認めてくれて、力づけてくれて、辛い時には慰めてくれたり大丈夫だといってくれたり。もしかしたら意地悪な話し相手もいい人の話し相手も両方いる人もいるかもしれない。親が毒親でない人の頭の中はそんなのかもしれないなと思ったりする。

 自分の中の話し相手を変えようと私も今までいろいろ頑張ってきた。でもなかなか難しい。そういう時に何の努力もなく「いい話し相手」といつも話している人を見ると、「ああどう頑張っても生まれが悪いとだめなんだなあ」とがっくりきたりする。「こうなってはいけない、でもなってしまう。だめだだめだ、変えなければ!それができない私はだめだ。いやそんな風に考えたらだめだ」と無限ループ。要するに、生きることが終わりのない闘争のようになってしまう。

 自分で自分をいじめるような考え方をするのは馬鹿げている、と簡単に考えられる人は、自分が健全だからわからないのだ。それがどれだけしつこく粘着質にまとわりついてくるか。

 でも、単なる話し相手の問題なのだと考えて、違う相手と話すように試みるのもいいかもしれない。

毒親の介護について

 どこから書いていいかわからないけど、まとめようとせずに思いついたことから徐々に書いていくことにしよう。これを書き出すまで、何度も書いては消しを繰り返していてなかなかアップできない(^_^;)自分のための吐き出しと開き直って、わかってもらいたいという気持ちを手放すのが大事なんだろうな。

 たぶん発達障害だった高齢の毒親(毒母)は、今は認知症もありいっそう自分勝手で自分中心になり、自己反省や罪悪感が皆無なためにストレスがなく、お元気で長生きです。自分にストレスがない分子供がストレスを受けまくり、5人もいる子供は全員歪みまくり。40も過ぎて高齢出産(すでに4人も子供いるのに)しやがったために、末っ子の私はすぐ上と10歳以上離れており、面倒くさいがゆえの育児放棄(自分では認めないだろうが)。子供の頃から安心感を持つことが全くできない環境で育った。

 親が発達障害ぎみということは、私にも多少その傾向が受け継がれたんだろう(それが理解できたのはごく最近、中年になってから汗)。どこかへんてこだった私は学校ではいじめにあい、助けてくれる人も信頼できる大人も1人もいないまま育った。それでも子供の頃は希望を持っていたと思う。外の世界に出たら良くなるはずだと信じていた。馬鹿だったと思う。馬鹿だったから生き延びられたのかもしれないが、生き延びたのがいいことだったのかどうかもわからない。

 15年ほど前に父親が死んでから、一人では何もできず人に依存するのが当然と無邪気に思っている毒親のために(医学的には正常範囲なのだろうが、知能が低めなのだ)、実家の近くで職場を見つけ、実家から徒歩2~3分の場所に部屋を借りて引っ越した。自分勝手にやりたい毒親は子供と同居は望まないが、都合よく自分をいつも助けてもらうことは望む。私も年取った親はほってもおけないので、そうした。親と同居したら自分が壊れるのはわかっているので、これからも同居することはないだろう。

 それからずっと紆余曲折ありながら(いろいろあった)親を見続けて、気ままに気楽に楽しく生き続けてきた毒親は、認知症も進み、今は要介護3。去年2015年に大腿骨骨折をしてからは外にも出られなくなったので、介護サービスを枠いっぱい使いながら、私は週2回訪問ペースで通い続けた(今は引っ越しして片道約1.5時間のところから通っている)。

 約ひと月前、肺炎で入院(この時も大変だった。頼れる人はおらんわ、タクシーに乗せるのも一苦労で)。かなり弱って一人で上半身も起こせず、意識も朦朧とした感じだったので、いよいよ次のステージだな、と思ったら、すごい回復力で飯も全部食い、元気。私より元気。

 この時点で私ががっくりくる。この数年はっきりいってしんどかった。でも徐々に食が細り、少しづつ弱っていってるのが感じられたし、年相応というか遅すぎるくらいなので、このまま老衰していくのを支えていこう、と考えていた。肺炎というのも老衰の表れだし、自然なことと思った。

 それが入院したらモリモリ飯を食い、今や数年前の気力体力に戻った感じ。ただし、足は悪いしボケは進んだまま体力だけが元気なので、よりやっかいで手がかかる状態に。

 まったく弱らない毒親。しかしボケは進むしやっかいさはますし手はかかる。もちろん世話をする私への感謝の気持ちはまるでなし。介護する誰もが思うであろう「いったいいつまで続くの?」がどーんとくる。40過ぎの高齢出産なのに、毒親が死んだ時には私もおばあちゃん?私の人生毒親に一生吸われたまま?思い返せば生まれた時から吸われていた。私の人生や運やエネルギーを吸うために私を産んだのか?という思いが爆発する。

 そこに苦しさを倍加させるのが、この数年のしんどさのもうひとつの元凶である、自己愛性人格障害の糞姉。年が14年離れているので、毒親×2の状態で子供時代を過ごした。姉という言葉を使いたくないので、以下自己愛糞とだけ呼びたい。毒親と相似形のそっくり親子。私とは全く異質。どちらかが生まれなければよかったと本気で思う。まあ私が後なので私が生まれないでよかったのだが。2人はそっくりなのだし。ただ他の兄弟(男3人)はどちらかというと私に近い人格の歪み方なので、きっと私のほうがまだまともに近いのだと思う。程度問題だけど。